HOME
プロフィール
政策・主張・実績
ブログ
ニュース
お問合せ・ご相談
リンク
 

カテゴリ:

【木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか】

戦争という大きなうねりと〝自分〟をもてなかった木村政彦
【木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか】  増田 俊也(著)

 
 
 15年不敗、13年連続日本一。「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と謳われ、「鬼の牛島」こと牛島辰熊に才能を見出され、師弟悲願の1940年に行われた天覧試合を制する、伝説の柔道家・木村政彦。日本プロレス界創成期の運命の一戦、力道山VS木村政彦とは何だったのか。著者は18年間に渡る取材から伝説的柔道家、木村政彦の人生を追っていきます。


 
 木村政彦は、1917年(大正6年)に熊本県に生まれ、全日本選手権の前身ともいえる日本選士権を3連覇し、この後も大小大会含め無敗だったものの、第二次世界大戦勃発後の1942年(昭和17年)に兵役で柔道を離れざるを得なくなりました。戦中は上官相手に、戦後はMP(憲兵)相手に暴れまくる木村の姿は痛快そのものですが、この時期にも柔道の大会が開催されていれば間違いなく連続優勝記録を伸ばしていたでしょう。その伝説も見たかったと思うのは贅沢すぎる望みでしょうか。


 1954年(昭和29年)12月に蔵前国技館で行われた力道山VS木村政彦の日本プロレス選手権試合。力道山はこの試合を機に一気に国民的スターに登り詰めていき、一方の木村政彦は自身のプロレス団体がうまく立ちゆかなくなりジリ貧となって海外へ行く。完全にプロレス界から忘れ去られ、敗者としての明暗がくっきりと分かれ人生の分岐点となりました。

 戦前は天覧試合という、オリンピックよりも重要な試合で優勝し国民的英雄となった男が、妻の病気の治療費を稼ぐために金策をしながら堕落していく様と、戦後に朝鮮人差別と戦いながら、常軌を逸した執念で成り上がろうとした力道山の生き方、それを追うことは太平洋戦争に翻弄された昭和初期を振り返ることでもあります。


 戦争という大きなうねりに抗えなかった最強の男。しかし、戦争に対して、もっと言ってしまえば、自分の人生とはなにか、というテーマに向き合えなかったのではないか。この事が彼のその後の人生に大きな影響を与えたのではないか。スッキリしない読後でした。







金子けんたろう
2014年10月
      1 2 3 4
5 6 7 8 9 10 11
12 13 14 15 16 17 18
19 20 21 22 23 24 25
26 27 28 29 30 31  

アイテム

  • 無題.png
  • P910309400.jpg
  • P9103094.JPG
  • IMG_6810.JPG
  • imagesE28BAILW.jpg
  • suteki.jpg
  • .jpg
  • DSC05274.JPG
  • 楢山節考.png
  • DSCN0412.JPG