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2014年9月アーカイブ

金子健太郎 (2014年9月28日 19:25)

「人間の本性」

 今年の夏、杉並の有志が広島で行われた平和記念式典に参加しました。今月末には高円寺で報告会も行われます。過去、私も広島・長崎と訪問し被爆者の声を聞く経験をしました。青年がどんなことを感じたのか、報告会が楽しみです。


 以前、長崎の牧師さんが体験されたお話しをうかがったことがあります。通常の被爆体験とは違うものでした。


 十七歳で原爆を経験されたがトンネル内で勤労奉仕中だったため直接の被爆を免れられた。母を案じ家に向かうが、通常三0分の道のりが五時間かかったと言います。途中助けを求める小学生を振り切り、米軍機の接近に重傷を負った女学生を置き去りにして逃げ、数日前に自分のことを殴った先輩が瀕死の重傷を負った姿をみて「ザマ見ろ」と吐き捨てた。
 
 この牧師の被爆体験は、被害体験であると同時に加害体験です。牧師曰く「あの日私は人間の本性を知りました。逃げる、助けない、赦さない。それが人間の本性です」。牧師の戦後は、被害者としての苦しみと同時にあの日経験した「人間の本性」に対する罪責意識に向き合う60数年だったそうです。

 それが「人間の本性」であるなら牧師の悩みと無縁で居れる人はいないでしょう。「人間の本性」故に「仕方がない」と諦める人もいるでしょう。

 しかし、この牧師は「人間の本性に挑戦しよう」と長崎の子どもたちに呼びかけられた。「逃げない、助ける、赦す」ことに挑戦する意味は十分にあると。それが「平和をつくりだす」ということなのだと。

 平和の敵が「人間の本性」であるならば平和は自分自身の問題。相手にとって不足なし。じっくり向き合い、辛抱強くたたかっていきたいと思うのです。

 福祉事務所職員の多忙化

 最近、生活保護受給者から申請の件ではなく、ケースワーカーの対応に関する相談が増えています。受給者に対し人権感覚を欠いているのではないか、また、事務所内での指導が行き届いていないのではないかと感じています。区議団に寄せられた事例を紹介します。


事例◆腎臓疾患のため働けず、
 保護受給の30代独身女性の場合

【のちに腎臓移植することになったこの女性。辛さのためかうつ気味になり党区議団へ相談。病気の症状がひどく短時間で何度も倒れ救急搬送を繰り返していました。背中の痛みがひどく主治医から〈マッサージを受けると楽になる、私からケースワーカーに打診してもいい〉といわれ、担当のケースワーカーに要望するも、「腎臓が痛いなんてきいたことがない。」と拒否。

区議団からケースワーカーへ問い合わせすると「医療の相談に関して経験がなく浅はかだった、何人もひとりで抱えていて親身に対応できなかった」と陳謝しました。】


 こうした事例はケースワーカーが担当する世帯が多すぎる等の多忙化、知識や経験を積む前に現場に出される、こうした点から起こったと思われます。9月11日の本会議一般質問において、このについて区の姿勢を問いました。


 質問:精神疾患や病気のため受給する事例が増えているなか、区はケースワーカーの多忙な状況を把握しているか?
 
 担当部長答弁:複雑困難な課題を抱えた世帯には、対応に苦慮しながらも、日々真摯にケースワークに取り組んでいると認識している。今後、さらに高齢受給者の増が見込まれる中、必要な人員体制の確保とともに、ケースワークのあり方自体についても改めて検討が必要と考えている。


このように区は、実態に合わせた解決が必要という姿勢を示しました。今回は受給者の人権を守るとともに、福祉事務所職員の職場環境改善のために質問しました。区の今後の姿勢・具体化に注目していきます。

障がい者施策・失語症について   議会で一般質問


  9月11日、区議会本会議において一般質問を行いました。
 障がいの種類は身体・視覚・聴覚・精神など様々ですが、今回取り上げた失語症は一般的にはほとんど知られていません。
 
 この質問を通して、今後行政として当事者や家族からの聞き取りや、区職員や区民への啓発を行うべきではないかなど、障がい者施策・失語症者への区の姿勢を問いました。


 質問:区の計画を作る際には、障がいをもつ当事者や家族などから直接聞き取りを行うべきではないか?

 障がいの症状によって、会話パートナーを増やしてほしい、もっと集える居場所がほしいなど要望は様々です。何が求められているのか、当事者や家族から直接聞き取りを行い、個別事例を多く集めることが重要です。この点について質問しました。


区長答弁:先日、丸一日半をかけて直接障がい者団体連合会の各団体の話をうかがった。区に要望したいことは様々。そういったこと一つひとつに、真摯に向き合っていかなければならないと感じている。

 と、障がい者施策について前向きな姿勢を表しました。


障害のある人もない人も、ともに地域で暮らせる杉並区へ


  今回、当事者や家族に話を聞く中で行政や地域の理解、失語症会話パートナーなどの適切な援助があれば、思いを伝え合い、いきいきと日常生活をおくることが可能になるということを実感しました。

 障害のある人もない人も、すべての区民が、ともに地域で暮らすことができる杉並区にするために取り組みを充実していただきますことを要望しました。

 

金子健太郎 (2014年9月 7日 19:12)

戦争という大きなうねりと〝自分〟をもてなかった木村政彦
【木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか】  増田 俊也(著)

 
 
 15年不敗、13年連続日本一。「木村の前に木村なく、木村のあとに木村なし」と謳われ、「鬼の牛島」こと牛島辰熊に才能を見出され、師弟悲願の1940年に行われた天覧試合を制する、伝説の柔道家・木村政彦。日本プロレス界創成期の運命の一戦、力道山VS木村政彦とは何だったのか。著者は18年間に渡る取材から伝説的柔道家、木村政彦の人生を追っていきます。


 
 木村政彦は、1917年(大正6年)に熊本県に生まれ、全日本選手権の前身ともいえる日本選士権を3連覇し、この後も大小大会含め無敗だったものの、第二次世界大戦勃発後の1942年(昭和17年)に兵役で柔道を離れざるを得なくなりました。戦中は上官相手に、戦後はMP(憲兵)相手に暴れまくる木村の姿は痛快そのものですが、この時期にも柔道の大会が開催されていれば間違いなく連続優勝記録を伸ばしていたでしょう。その伝説も見たかったと思うのは贅沢すぎる望みでしょうか。


 1954年(昭和29年)12月に蔵前国技館で行われた力道山VS木村政彦の日本プロレス選手権試合。力道山はこの試合を機に一気に国民的スターに登り詰めていき、一方の木村政彦は自身のプロレス団体がうまく立ちゆかなくなりジリ貧となって海外へ行く。完全にプロレス界から忘れ去られ、敗者としての明暗がくっきりと分かれ人生の分岐点となりました。

 戦前は天覧試合という、オリンピックよりも重要な試合で優勝し国民的英雄となった男が、妻の病気の治療費を稼ぐために金策をしながら堕落していく様と、戦後に朝鮮人差別と戦いながら、常軌を逸した執念で成り上がろうとした力道山の生き方、それを追うことは太平洋戦争に翻弄された昭和初期を振り返ることでもあります。


 戦争という大きなうねりに抗えなかった最強の男。しかし、戦争に対して、もっと言ってしまえば、自分の人生とはなにか、というテーマに向き合えなかったのではないか。この事が彼のその後の人生に大きな影響を与えたのではないか。スッキリしない読後でした。







金子けんたろう
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